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日々の暮らしのなかで感じたこと思ったことをお便りします。CORRINE(コリン)とは小高い丘のこと。この緑の丘で少しでも憩っていただけると嬉しいです。足跡残していってくださいね。


by remi_naomi
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ルネッサンスの歌に秘められたもの

音楽の歴史の中に、私たちは人間の意識の変容を感じるとることができます。
歴史をたどることは、人間の意識の変容をたどることでもあります。

10月14日のコンサートにお出かけくださる方もそうでない方も、今回私が歌うルネッサンスの歌曲にたいして、私がどんなことを感じたり、大切にしてうたっているのかお伝えできたたらなあ…と思って、ルネッサンスの事をかいてみました。
でも、すごい長文になってしました(T_T)
興味のある方、おつきあいくださいませ♪

*****************


すべての芸術は、人間に関わるものです。
建築には、造る人の内面的なものが現れます。建築の顔はエーテル的なものの現れだと言われています。絵画は魂を表し、音楽は全てを統括して自我を表します。楽譜の中に隠された数の秘密は、意識の変容をそのままあらわしています。
その事を感じることができれば、素晴らしい芸術品の中から私たちは人間の意識がどのように変容してきたのかひもとくことができます。


その昔、ロマネスクの時代の建物にはたくさんのアーチや円がありました。アーチや円は宇宙の写しだと言われています。コスモスから人間が生まれたとそのころの人々は思ってました。
円をつくる「上のアーチ(半円)」は精神世界から降りてきた自分、「下のアーチ(半円)」は死後の精神世界、ふたつをあわせてできる円は自分の中の一つのまとまった世界となります。
そのそれぞれのアーチは、上につくるアーチが共感、そして下につくるアーチは反感でもあります。
反感の上に立って共感がありました。
そして、地上的生死の力(下のアーチ)と精神的な力(上のアーチ)の真ん中に人間的に存在する力を感じていました。

ルネッサンスの歌に秘められたもの_c0066891_939594.jpg


このころ、音楽的にみた完全な共感は、個人的ではなくグループで動いていくものでした。それぞれの個人性は全体のなかの一部でした。それは、一斉に人間の呼吸で歌う歌になりました。
それは、「Kyrie e  leison」(神よ私をあたためたまえ)とうたう歌の中にもあらわれていました。
その歌は、メロディーと呼吸でできていました。楽器は存在しません。
呼吸の「呼」は目覚めを、「吸」は眠りを表しました。
目覚めは建物の柱で、眠りはアーチです。

人間の呼吸は3:2で表されます。呼は3で、吸は2です。
呼吸には別の意味もあり、息を吸い込むことは「インカーネーション(受肉)」息をはくことは「エクスカーネーション(帰依)」…私たち…です。
音楽的には、呼吸は対極にあるリズムです。
2拍子は、いつも押す感じ・重くなる感じ・直線的です。
3拍子は、回転する感じ・軽くなる感じ・曲線的です。
地上に向かってインカーネーション(2)し、精神界にむかってエクスカーネーション(3)します。
それは、ロマネスクの教会建築にもあらわれていました。

ロマネスクの音楽や建築の全体の感じは覆われています。
この時代の人たちの大切な音楽は、宇宙の音楽でした。
それは、「ムジカ・ムンダナ」と言われ、世界の音楽・宇宙の音楽と言われていました。星々のダンスのことでもありました。そして、宇宙の音楽が人間の身体を形づくると考えられていました。
そのころは、「ムジカ・ムンダナ」の内に「ムジカ・ホマーナ」人間の音楽があり、その内がわに「ムジカ・インストロメンターリス」楽器として働きかける、音として聴くことができる音楽があると考えられていました。
「ムジカ・ムンダナ」と「ムジカ・ホマーナ」は音として聴くことはできないけれど存在していることをわかっていました。
音になったものは、周りの聴こえない音のエコーであり、感謝の気持ちであると感じていました。
ロマネスク時代のものすべては、精神世界に向けられて存在していました。


しかし、その後、人々がいろんなものに疑いを持つ時代がやってきます。
聞こえる音、聞こえる音楽だけを音楽と呼ぶ時代がやってきます。
やがて、人々は、自分がさわったり、見たり、聞いたりするものしか信じなくなっていきました。
超感覚的なものは何もなく、精神的な世界は、視覚的存在になりえないものでなければ、存在しないとまで思うようになりました。
ロマネスクの崩壊です。
このころ、2面性という言葉が生まれたそうです。別れるという時代がやってきます。
音楽でいうと2つの音C(ド)とG(ソ)、それは反感でした。

ゴシック時代の誕生です。
眠りの時代ロマネスクから疑いの目覚めの時代ゴシックが生まれます。
それは、集団から個になろうとする時代でもありました。
一緒のものに亀裂が入ることがやってきました。自分自身が自分のなかに押し込まれたような感覚をもっていました。

ルネッサンスの歌に秘められたもの_c0066891_9401596.jpg


ゴシック建築は、とがりのあるアーチが特徴です。反感のあるアーチ、目覚めの現れです。人々の考えも互にぶつかりあいました。
学徒派の人々は、今までたずさえてきたことを、これで正しいのか正しくないのかを考え始めました。

ゴシック時代のカテドラルはあたかも天をつくような高さでした。
なにか、物質的なものをつかって、自分たちがなくした精神的なものを取り戻すためにとてもたくさんの仕事をしていかないといけないと思う心の内面をうつしているようにも思えます。

ゴシックの建物に入ったとき、なにか引き上げられるようなものを感じると言います。それは、常になにか物質的なものを使って上の世界に辿り着こうとした当時の人々の意志を感じるのではないかと思います。
ゴシック時代のカテドラルはつねに上に向かって存在しています。地下が存在しないとも言われています。また、天にむかうとがったアーチは外に向かって力がはじけ散らないように外側からしっかりと支えられる必要があったため、あのような形になったとも言われています。

ゴシックの時代の音楽の世界といえば、一つであったものが、2つにも3つにも別れていきました。
いたるところに「別れる」ことが感じられました。
人間の世界にも、いろんな宗派が生まれ、お互いが戦いあいました。
知性によって戦いました。

このころ、2声や3声、4声で歌われる音楽がつくられました。リズムは衝動があたえられたもの、立ち上げられた音の羅列、恍惚も含んだ音の方向性が特徴となりました。
4声の曲の上の3声の部分の下のパートにはグレゴリアンチャントの旋律が含まれていましたが、ある時は一つの音が1分以上も伸ばされる曲もありました。
もはや、歌えない、歌唱では辿り着くことができない世界が表現されました。
それで、楽器がうまれました。音を長く伸ばしたり、リズムを表したりできる楽器の世界がうまれました。それは、まさに物質的なものを通して精神的世界に辿り着こうとする意志の現れです。
リズムを打つ高い音の楽器も現れました。シンバルやトライアングルです。
人々は、その音に目覚めを感じました。

そして、すべてのものが明けて来るときがやってきました。
情熱をもって素晴らしいと感じる感覚が人々の中に生まれました。
まだ、内的なものはなくからっぽな感じ、5度4度のひびきとオクターヴがシャープな感じを表していましたが、やがてこれが内的ハーモニーの世界に向かって行きます。
ゴシック時代の音楽は反感をともなった知性に目覚めた音楽でした。
複雑なメロディーとエクスタシーを含んだ音の中に、思考と意志の反感を感じることができます。
このころまで、音楽は教会のものでしたが、やがて、世界の芸術家が世界のあちらこちらでうまれてきました。ドイツではミンネジンガーが、イタリアでは吟遊詩人トロバドールが人々の感情をうたいました。

ミンネジンガーやトロバドールは「私とあなた」のことを歌いました。
それは、最初の「愛の歌」です。
精神的世界は人間のところへ降りてきて、物質的なものは空の高みへ上がって行き、そのちょうど真ん中のところ…動きがある感情の中に世界を見つけました。
歌はそれを導くものでした。
ハディガディを鳴らしながら歌った愛の歌には、通奏低音(神的なもの)と歌(人間的なもの)のふれあいがそこにはありました。
ゴシックの僧たちは3度をきらっていました。内的に捕まれたように感じていました。そして、愛の歌の中で人々は3度を感じる瞬間に心が開かれたと感じていました。

ルネッサンスは、ロマネスクとゴシックの融合からうまれました。
ルネッサンスの建築は共感と反感が愛重なるものでもありました。
ロマネスクは純粋な共感。
自分というものを消し去って、まわりのもの全てをとりこむものでした。
ゴシックは完全な反感。
忘れることができずに覚醒し続ける、距離をおきつづけるものでした。
そして、ルネッサンスはロマネスクとゴシックの両方を含むものでした。
愛とは、反感と共感の繰り返しです。

また、ルネッサンスは自分の内的空間を認めた時でもありました。
建物の内部空間にも同じようなことが生まれたようです。
ルネッサンスの初期の芸術家は、精神世界の仲介者でもありました。
そして、時が経つにつれ、精神的なものを自分の内に集め、自分の力で表現していきました。
ルネッサンスの音楽は長調と短調を認識しました。
絵画でも、背景(外の世界・長調)と室中空間(内の世界・短調)が一枚の絵のなかに一緒に描かれたりして、同じような世界観が表現されました。
そして、それは外の世界(長調)も内の世界(短調)も私なんだという認識に立っています。

夜から朝、そして冬から夏への動きがルネッサンスのなかにはあります。
光を感じる動きです。
ルネッサンスの光になるということは、人間の自我を目覚めさせるのと同じことのように思います。
ルネッサンスは自分自身の自我を自覚するようになった時代でもあります。
このころの芸術家は、内的な光を自分自身でともさなければならないと思っていました。自分自身の光です。
そのことが、全ての芸術に現れています。


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ルネッサンスの歌に秘められたもの_c0066891_9412486.jpg


今回、10月14日のコンサートで私がうたうルネッサンスの歌曲は2曲です。
そのひとつ「戻っておいで、甘い愛がまねく」(ダウランド)は長調の<出会いの曲>、もう一つは「今こそ別れ」(ダウランド)は短調の<別れの曲>です。
「戻っておいで。甘い愛がまねく」は英語と日本語で、「今こそ別れ」は日本語で歌います。

ルネッサンスの芸術家たちが表現しようと思っていたことの流れを現代にも感じます。
精神世界と共存したロマネスク、全てが物質化しその中に精神世界を求めようとしたゴシック、そして全てを融合し自分自身が光になろうとしたルネッサンス…今また新たにルネッサンスの時代をむかえているとも感じます。

どれだけのことが表現できるのかはわかりませんが、私の中の光を歌えたらと思います。
もちろん、私の歌を支えてくれるピアノは、伊藤恵子さんです♪

最後に10月14日のコンサートのプログラムをご紹介します。
お時間が取れましたら、是非お越しください♪
チケットのご予約、当日受付でのお渡しも承っております。
corrine5@mac.com までメールください。


第2部プログラム


★辻あやかさん(ピアノ)
(プログラムは当日お知らせします)

17歳の素晴らしいピアニスト
藤岡宣男さんにピアノを習っていました
彼女の音の美しさは感動ものです

★山崎愛さん(歌)
どうか吹いておくれ
ああ愛する人の 
セビリアの理髪師より「今の歌声」
ladanza
トゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」

彼女は私の大学の後輩です
同じステージにたてて嬉しいです

★木村天山さん(歌)
白月
浮波の港
雨降りお月さん

天山さんの日本語の響きは素晴らしく
いつか個人指導をしてもらいたいくらいです
占星術研究家でもあり、こちらでも弟子入り希望です

<休憩>

★野中耕多さん(ディジュルドゥー)
アボリジニーの民族楽器ソロ
魂が震える音です

★大塚直美(歌)
愛の神よ何を待つのか(カッチーニ)
戻っておいで、甘い愛がまねく(ダウランド)
今こそ別れ(ダウランド)
サリーガーデン(伝承曲)
グリーンスリーブス(伝承曲)

プログラムを決めた後でわかったのですが
「今こそ別れ」意外は、すべて藤岡宣男さんが
CDに収録していました
心をこめて歌わせていただきます
皆さんにより近く感じていただけるよう
日本語訳で歌ったりもします
お楽しみください

★末廣和史さん(ピアノ)
(プログラムは当日お知らせします)

私は、今回初めてお会いするピアニスト
どんな演奏をしてくださるかとても楽しみです


★辻友子さん(歌)
初恋
逢いたくて
この道

藤岡宣男さんの一番弟子
ピアニストの辻あやかさんは友子さんのお嬢さんです



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記事に使わせていただいた写真はHP「役所工事」さんのもの。
時々見に行っては、感動して、お腹いっぱいになって帰ってきています(^.^)
by remi_naomi | 2006-10-06 09:52 | 音楽